90s生まれミレニアル世代のメモ帳/備忘録

アメリカ東海岸の片隅から、読んだ記事や本で気になった箇所をメモするブログ。

今といざを使い分けるな、人生は一瞬の積み重ね、毎日を丁寧に生きろ、因果の帳尻は必ず合う

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引用元:九条の大罪

「結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う。」

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「生き方」稲盛和夫サンマーク出版、2004

P215

結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う

 因果応報の法則というものが見えづらく、それゆえに容易に信じることができないのは、物事を短いスパンでしかとらえていないからです。ある思いや行いが結果として表れてくるには、やはりそれ相応の時間がかかり、二年や三年といった短い単位では結果は出にくいものなのです。

 しかし、それも二十年、三十年といった長い単位で見れば、きちんと因果の帳尻は合っているものです。私も事業を始めて四十年以上がたち、その間、さまざまな人物のさまざまな盛衰を見てきましたが、やはり三十年、四十年というスパンで見てみると、ほとんどの人が日ごろの行いや生き方にふさわしい報果を、それぞれの人生から得ているのです。

 長い目で見れば、誠実で善行を惜しまない人物がいつまでも不遇にとどまることはないし、怠け者でいい加減な生き方をしている人がずっと栄えていることもありません。

 たしかに、何か悪い行いをした人がまぐれや勢いでうまくいったり、善きことに努めた人が一時的な不運に見舞われて低迷したりすることもありますが、それも時間がたつうちにだんだんと修正されて、やがてみんながそれぞれの言動や生き方にふさわしい結果を得、その「人間」に見合った境遇に落ち着いていくものです。

 それは怖いくらいにそうなっていて、原因と結果がピシッと等号で結ばれていることがよくわかります。短期的にはともかく、長期的にはかならず善因は善果に通じ、悪因は悪果を呼んで、因果のつじつまはしっかりと合うようにできているのです。

引用元:生き方