まとめ
- 多くの人は、より社会的地位や経済的地位を上へ上へと登っていった先に「幸せ」があると考えているのではないだろうか。
- 想像してみて欲しい。プレッシャーの多い管理職に昇進したり、嫌な上司と高級レストランに行くより、仕事の後によく冷えたビールを自宅のお気に入りのソファーで飲むほうが、「あ〜、幸せだな〜」と感じるのではないだろうか。
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子どもたちが仲良く(喧嘩せずに)広場を駆け回っているのを見ている瞬間。お気に入りの森の散歩道を、妻と他愛もない会話をしながら歩いている瞬間。1500円のワインを3日に1本、家族が寝静まった後に一人でゆっくり飲む瞬間。
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どれも一つ一つは小さなものだが、これらの「幸せを感じる瞬間」をできるだけ多く、できれば日常的に得ることができれば、私は幸せであると言える。
- 鍵である「幸せを感じる感度」だが、特に都会で暮らしていると、この感度を上げることが意外と難しい。上げるどころか維持するのも簡単ではない。我々はあまりに多くのモノと情報に囲まれているので、自然と感度が下がってしまうのだ。
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東京の夜景が見えるお洒落な場所は、普段私が暮らしている湖畔とは全く違って刺激的で、その光景を見るだけで私は幸せを感じていたが、そこにさらに、これまでに私が飲んだことのないような高級なワインが出てきた。1本20万円のワインだ。既に一次会で何杯かのビールやワインを飲んでいた私にとっては、正直ここに来てそのような高級なワインを飲みたいとは思わなかったが、実際に飲んでみるととても美味しかった。当たり前だ。普段の私のワインの100倍以上の値段である。
ただ、それは本当に美味しいワインだったのだが、同時に私はあることを思ってしまった。私は1500円のワインで幸せを感じられる自分でいたいと。皆のグラスに飲み残されたワインを見て、心からそう思った。
- 人間は大人になるにつれ「幸せを感じる感度」を鈍らせてしてしまっているのではないだろうか。実は私が子育てで一番気をつけていることはこのことだ。子どもたちにはいつも幸せな気持ちでいて欲しい。だからテレビゲームを与えるのはできるだけ遅らせたいのだ。飲み終えたカフェラテのプラカップでどんな工作をしようかと興奮できる子どもたちの「幸せを感じる感度」を奪いたくないのだ。
Source - 幸せは「なる」ものではなく「感じる」もの https://forbesjapan.com/articles/detail/28101