面白いTED Talkを見つけました。概要は下記ウェブできれいにまとめられております。
子供にPCとiPadを与えて、親である自分が褒めまくれば子供は買ってに学ぶのでしょうか...
大人から承認さえ与えてもらえば、子供はいくらでも頑張れる
インドの教育科学者であるスガタ・ミトラはタミル語という地方言語しか話されていないインド南部の村で興味深い実験を行った。
この村にインターネットに接続されたコンピューターを設置し、英語で書かれたDNAの複製に関する資料を読めるようにした上で、村の子どもたちが自由に使えるように放置した。
二カ月後、彼は村を訪れて子どもたちにDNAの複製についてテストを行ったが、この段階では結果は散々だった。
次に彼は大人の監督役をつけることにした。村に顔見知りの若い女性会計士がいたので、ちょっとした手助けを頼んだ。若い女性会計士は「DNAの複製のことなど何も知らない」と言ったが、ミトラは「おばあちゃん役」をしてくれればいいんだと安心させた。
コンピューターと向き合っている子どもたちの後ろに立ち、さかんに褒め言葉をかけ、何をしているのか尋ねるだけすればいいと言い残し、彼は村を去った。
二カ月後、子どもたちのテストの正答率は五〇パーセントに跳ねあがった。この正答率はニューデリーの裕福な私立学校に通う生徒たちとほぼ同様だという。
つまり、インドの貧しい村の子どもたちでも裕福な親の子どもたちと同程度までにキャッチアップできるのだ。後ろで認めてくれる大人がいれば、だが。
大人の役割とは子供に関心を示してあげる事なのかもしれない
先の現象は非常に興味深くはないだろうか?このインド南部の村は、冒頭に例としてあげたチェスマスター・スピーゲルが住んでいた場所であるニューヨークのスラム街と同じく、低所得者層で構成されている。
普通に考えれば、知識が普及するのには最悪の環境といえよう。DNAの複製なんてメシの種にもならない高尚な概念が浸透する余地はどこにもない。
だが…それでもインターネットと褒める教師役の二つが組み合わされば部分的とはいえ高所得者の子どもたちと同じ程の知識が普及するのである。
知識が普及しないのは、それをやった所で誰も褒めてくれないからだったのだ。つまり…全ては大人の責任だったのである。
チェスマスター・スピーゲルが子供の頃に地理や語彙、計算能力を身に着けなかったのはそれをやっても認めてくれる大人が誰もいなかったからだ。
インド南部の村の子どもたちも、DNAの複製について、大人が誰も褒めてくれない状況下だと全く普及しなかった。
後ろでじっと見守って、子供に興味を持つ。
たったそれだけで、子供が成長するのだとしたら…大人の役割というのは子供を厳しく指導したり良い道へと導く事ではなく、キチンと興味を示してあげる事なのではないだろうか?
相手に関心を示せるようになって、私達は初めて大人になったといえるのではないだろうか?私達はつい他人に自分の良いと思った事を押し付けがちになる生き物だ。誰もが自分の話をしたがり、誰かの話は聞きたがらない。