90s生まれミレニアル世代のメモ帳/備忘録

アメリカ東海岸の片隅から、読んだ記事や本で気になった箇所をメモするブログ。

灘高→東大: 読書にのめり込むのは小3くらいから。文庫本をいつも制服のポケットに入れて持ち歩くような少年でした。

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1979年東京生まれ。商社マンだった父の赴任に伴い中学まで東京、兵庫、南アフリカなどに滞在。灘高校東京大学文学部を経て講談社入社。2012年同社退社、漫画家・小説家のエージェント会社「コルク」設立。

以前は全ての正解が自分の外側にあると考え、社会的評価が高い学校や企業に入り、名声をつかもうと努力してきました。でも今は世間を気にせず、自分が本当に何をしたいのかを問い直すようになっています。

佐渡島家は明治初期から続く大阪・船場の地金商でした。

父は三井物産で鉄鋼部門に勤務した商社マン。転勤族だったが、サッカーに励み、読書に夢中になった。

僕は東京生まれ。父の海外研修で米国と英国に短期滞在した後、社宅があった兵庫県宝塚市に移住。小学校時代は東京・世田谷で過ごします。

最初の記憶は宝塚の社宅駐車場で友人と遊んでいた光景ですね。同じ関西に住む父方の祖父母からは様々な影響を受けました。絵画、書道、茶道をたしなむ文化人で古今東西の美術品や骨董品をたくさん買い集めていたんです。

祖父ががんで病死した後も祖母は駐車場経営や保険業へと次々に乗り出して大成功。起業家精神にあふれる活発な女性で親戚から「ゴッドマザー」と呼ばれていました。
読書にのめり込むのは小3くらいから。文庫本をいつも制服のポケットに入れて持ち歩くような少年でした。小6で読んだ遠藤周作氏の「沈黙」に強烈に感動したのを覚えています。

中学は麻布と甲陽学院を受けて不合格。父が駐在する南アフリカヨハネスブルクで家族と暮らす。
中学受験に失敗したのは自分の学力が足りなかったためです。3年後に高校受験があるので僕は日本人学校、弟と妹は英語習得を目指して現地校に入学します。南アは当時から治安が劣悪で強盗や殺人も日常茶飯事。外出も自由にできません。しばらくは日本の生活が恋しかったですね。

とはいえ気候は快適で自宅にプールがあり、専属の運転手やメイドもいました。生徒の多くが個人コーチに付いてテニス練習などに励む毎日。日本人駐在員の生活はかなり恵まれていたと思います。
南アから帰国後、難関の灘高校に合格。特別な勉強をした記憶はないという。
南アには受験用の参考書も塾もなかったので勉強したのは教科書だけ。教科書は内容が本当によく練られていて基礎を理解するのに最適でした。多くの受験生は小手先のテクニックに気を取られて基礎をおろそかにし過ぎですね。帰国後、全国模試を受けると予想以上に好成績が取れたので自分でも驚きました。