退屈さは別に乗り越えられるんだけど、結局はFIREとかの脱社会の一番の不幸って、自分でも知らなかった自分の一面を知る機会を失ってしまう事にあると思う。不快な事も含めて社会参画に組み込まれると、人は必然的に社会性を発達させるインセンティブが生じるが金でなんでも解決してるとこれが出来ない
他人のミスに共感するのは、何も揉め事を起こさないってのではなくて、自分がボケて信じられないようなミスをやらかした時とかにブーメランが突き刺さらない為の予行練習でしかないし、器を広げるのも生息可能空間を増やす為の行為でしかない。快適空間が狭い生物は、最終的には悶え苦しむだけ。