30歳で米国赴 - 一人で現地取引先を開拓するのが任務です。ほとんど出社せず、飛行機とレンタカーで客先を転々とし、モーテルで寝泊まりする日々が続きました。電話帳で見込み顧客を見つけては、公衆電話からアポを取り付けました

30歳で米国赴任
東洋インキに入社して半年間の工場研修を経て、海外事業部に配属されました。海外顧客とやりとりしながらインドネシアや当時のソ連などに出張し、充実した日々を送っていました。

30歳の時に米国赴任を打診され、「ぜひお願いします」と即答しました。肩書はセールスマネジャーでしたが、一人で現地取引先を開拓するのが任務です。

ほとんど出社せず、飛行機とレンタカーで客先を転々とし、モーテルで寝泊まりする日々が続きました。電話帳で見込み顧客を見つけては、公衆電話からアポを取り付けました。

■赴任3カ月で胃潰瘍

赴任3カ月は相手の話す英語が理解できず、話したいことも伝えられず、ストレスで胃潰瘍になりました。もがきながらも語学力は徐々に身につき、言動を現地の環境に合わせるうちに、性格も変わりました。米国では理屈を元にイエスノーをはっきり主張しなければならないからです。

米大手化学メーカーと品質を巡るトラブルが生じました。相手は理系の博士4~5人が交渉の席に現れる一方、こちらは文系卒の私のみ。最初は日本流の誠意で乗り切ろうとしましたが、全く通用しません。

そこで本社の品質保証部に連絡して、細かな品質データを取り寄せて理論武装しました。社内の技術者からは「どうしてそこまでデータが必要なのか」とけげんに思われました。結果的にこちらの言い分を交渉相手に聞き入れてもらい、折り合うことができました。

日本で通じる「丁寧に説明すればわかる」という考え方は、「理を尊ばない」と誤解されます。米国では客観的かつ論理的な説明が必要だと実感しました。それは、新規営業の面ではやりやすい面もありました。

「昔からなじみの取引先があるから」という理由で門前払いされることは少なく、製品や価格の話を聞いてもらうことができました。そのおかげで米国駐在の8年間に、米州向け顔料の年間売上高を着任時のおよそ2倍に伸ばすことができました。

最近では海外駐在者に求められる役割が変わり、現地法人のマネジメントが主になりました。言語の壁さえもIT(情報技術)の力で乗り越えられるようになっています。しかし、どんな時代でも現場・現物・現地の三現主義で、異文化を心で感じる大切さは変わらないように思います。

Source: 東洋インキSCホールディングス社長 高島悟氏(上): 日本経済新聞