米国で続く好景気の要因は、所得を消費に回す率の高い低所得層の賃金が上昇していることにある。金融危機後、労働市場が徐々に逼迫する中で各州が最低賃金を引き上げたことが大きな要因だ。しかしトランプ政権は富裕層優遇の所得減税で格差を拡大させようとしており、この流れが続くとは限らない。

低所得層の賃金上昇率が高い
●賃金階層別に見た賃金上昇率
 

米国の景気拡大局面は連続128カ月に達し、過去最長を更新し続けている。この連続記録は決して楽々と達成できたわけではない。2016年と19年には世界的な製造業不況があった。貿易摩擦も起こり、米連邦準備理事会(FRB)が金融引き締めに向かった時期もあった。それでも拡大は続いた。19年には企業投資が減速。住宅建設投資も縮小したが、個人消費支出が拡大し続けたため、何とか回復基調を維持できた。

 これほど支出が持続しているのは、今回の景気拡大局面ならではの「低所得層のほうが高所得層よりも賃金上昇率が高い」という現象に由来する。だが、低賃金労働者の所得上昇が好景気を持続させている点は、過小評価されてしまっている。

 今世紀初めから、経済成長の足かせとなってきたのは供給サイドではなく、需要サイドの問題だった。インフレがなかなか進まないことは、この20年間、生産能力に対して支出がほとんど追いつかなかったことを示唆している。この期間の平均インフレ率は年平均わずか1.8%。その前の20年間は約3.5%で、さらにその前の20年間は4.5%だった。

 経済学者は慢性的な需要の弱さを説明するために、労働力の高齢化や技術進歩の減速で投資マインドが低下していることなど、いくつかの要因を挙げている。だが、格差の拡大も大きな役割を果たしてきたと考えられる。

 裕福な世帯は貧しい世帯よりも、増えた所得を貯蓄に回しがちだ。そのため、富裕層への所得配分が高まり格差が拡大すれば、経済全体から需要が失われていく。

 米シンクタンクブルッキングス研究所のジェイ・シャンボー氏とライアン・ナン氏が最近行った分析によると、1979~2018年の40年間に、所得分布の上位10%に位置する高所得労働者の実質賃金は34%上昇したという。一方、下位10%に位置する労働者の賃金上昇率は5%に満たず、下位5%ともなれば賃金は上がるどころか低下した。

 これに応じて支出も減少している。 米労働経済学者の故アラン・クルーガー氏は12年に公表した分析の中で、仮に1979~2007年の格差拡大がなかったら、米国経済全体で消費が5%増えていただろうと試算する。それは、今日の経済規模に約700億ドル(約7兆7000億円)を追加するようなものだ。

 経済の中で生み出される所得がカネを使わない世帯に流れ込む動きが増えるに連れ、FRBは雇用を増やし、インフレ率を抑えて、労働者から適度な支出を引き出そうとする政策に注力していった。FRBの主要政策金利の平均水準は、1980年代は10%弱だったが、2010年代には1%以下にまで落ち込んだ。

 やがて、消費意欲の高い層にも購買力が付いてきた。ただしそれは、賃金が増えたおかげというよりも、信用が拡大したせいだった。米国の家計債務がGDP国内総生産)に占める割合は、1979~2007年の間に約2倍に増えた。特に2000~07年の間だけで30ポイント近く急増した。低金利と住宅価格の急騰、住宅ローン貸し付け基準の極端な緩和により、資金が貯蓄者から支出者へと一気に流れた。これほど大量の融資が行われなければ、米国経済はただ、終わりの見えない停滞の中でよろめいていたことだろう。

近年の景気回復は、1990~2000年代の時とはまるで違う形で成り立っている。米求人サービス、インディード労働市場調査部門ハイアリング・ラボのエコノミストが行った最近の分析によると、低賃金産業の賃金上昇率は、2014~18年には他の産業とほぼ変わらない水準に達し、さらに過去2年間は、比較的高賃金の産業よりもはるかに高い伸びを示している(102ページのグラフ参照)。低所得層の賃金上昇で、最も支出しやすい人々の手にカネが行き渡り、これが消費を下支えして、経済は軟調な時期を乗り越えることができた。

 金融危機後、急激に縮小した家計債務もここ数年、対GDP比で見ると一貫して減り続けている。こうした債務水準の低下は、景気拡大局面を長引かせる要因となる。債務が少なければ、信用環境の変化や、2015~18年にFRBが行ったような金利引き上げに起因する借り入れコストの上昇で景気が圧迫される可能性が低くなるからだ。

 現在の賃金上昇は、この10年間、労働市場が徐々に逼迫してきたことの表れだ。経済の回復が進むにつれ、失業率は過去半世紀の最低水準まで下がった。企業は労働者を見つけるためにますます努力しなければならくなっている。雇用が増え続ける中、生産年齢人口(15~64歳)の労働参加率も上昇した。企業が賃金を引き上げたことで、これまで労働市場に取り込まれていなかった層が引き寄せられている。

 しかし、低賃金労働者への賃金が異常なほど急上昇している大きな理由は、おそらく最低賃金の引き上げにある。連邦政府が定める最低賃金は時給7.25ドル(約798円)で10年前から変わっていない。だが多くの州政府や自治体は近年、連邦基準よりもはるかに高い最低賃金を設定するようになった。米投資調査会社エバーコアISIのエコノミスト、アーニー・テデスキ氏の調査によれば、最低賃金で働く労働者は、平均すると時給12ドル(約1320円)程度で働いているという。実際の最低賃金は、インフレ調整後で見ると、過去10年間で3割以上増えている計算になる。

 低所得層の賃金が着実に上昇を続けることを当然と考えてはならない。企業はさらに雇用を拡大しようと懸命だ。政治的にも最低賃金引き上げの熱意は高まっている。民主党の大統領候補の大半は、連邦基準を15ドル(約1650円)以上に引き上げる案を掲げる。

 しかし一方で、格差拡大の圧力も根強い。米議会予算局(CBO)が19年12月に公表した分析によると、所得上位1%の富裕層が得る税引き前所得の割合は21年までに再び上昇に転じると見られる。何より注目すべきは、ドナルド・トランプ大統領の税制改革の影響で、富裕層の可処分所得の拡大がさらに強化されると予測される点だ。

 だが、政策は変わり得る。景気拡大局面が堅調に続くとの見通しが力強い説得材料となり、政策が転換されることが望まれる。

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