90s生まれミレニアル世代のメモ帳/備忘録

アメリカ東海岸の片隅から、読んだ記事や本で気になった箇所をメモするブログ。

ラッフルズホテルのロングバー訪問記

写真の説明はありません。

ラッフルズにあるロングバーへ、本場のシンガポールスリングを飲みに行きました。

ラッフルズを象徴するシンガポール スリングが生まれた歴史あるロング バー。有名なカウンターは、新しく設けられた装飾の中でもひときわ存在感を放ち、プランテーションをイメージした現代的なモチーフが建築に見事に調和しています。ロング バーは1900年代初頭にはキャズ アレーに位置していました。鉄道と道路の発達に伴い、天然ゴムとパームオイルのプランテーション経営者たちが毎週、週末になるとマラヤからシンガポールにやってきました。これは当時、「プランターのランデブー」と呼ばれていました。当店はフォーマルなバーではなく、ブラスバサ ロードに向かってテーブルが横一列に並べられ、男性客が通りを行き交う女性を眺めるのに絶好のスポットとなっていました。

2階建てのロング バーの素朴な内装は、1920年代のマレー人の暮らしに着想を得たデザイン。深みのある鮮やかな色彩と豊かな緑が、お客様を南国のプランテーションの彼方へといざないます。リラックスした雰囲気の店内に似つかわしく、テーブルやバーカウンターで召し上がったピーナッツの殻は床へ落としていただくのがロング バー流。おそらくシンガポールで唯一、ポイ捨てが推奨される場所です。

国を代表するカクテルとして広く認知されているシンガポール スリングは、1915年に、ラッフルズバーテンダー嚴崇文(Ngiam Tong Boon)によって生み出されました。ジンベースのカクテル、シンガポール スリングにはパイナップルジュースやライムジュース、キュラソーベネディクティンなども使われます。ピンクがかった色はグレナデンシロップとチェリーリキュールによるもの。バーテンダー嚴崇文は、意図的にこのバラ色を選んだのです。

20世紀初頭、植民地シンガポールにおいて、ラッフルズはコミュニティの人々が集う場所であり、ロング バーは社交場となっていました。そこでは、紳士たちがゆったりとジンやウィスキーのグラスを傾ける姿がよく見られました。ところが残念なことに、女性が人前でお酒を飲むことはエチケット違反と考えられていたため、世間体を気にする女性たちは、フルーツジュースや紅茶を選ぶのが一般的でした。

洞察力にすぐれた嚴崇文は、そこにニッチ市場を見いだし、一見フルーツジュースのようでいて、実はジンやリキュールが入っているカクテルを作ることにしました。聡明なバーテンダーは、そのカクテルをピンクに色付けて女性らしさを出し、無色透明のアルコールを使用することで、社会的に女性に認められているドリンクだと人々に思わせることに成功しました。そんな背景から生まれたシンガポール スリング。瞬く間に大ヒットとなったのは言うまでもありません。

公式サイト「ロングバー - Raffles Singapore(ラッフルズ シンガポール) - ラッフルズ ホテル&リゾート」より

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ロングバーへの道

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ラッフルズホテルの中庭

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バーへ到着

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カウンターが空いていたのでカウンターに座りました。

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シンガポールのレシピ。多くの種類のリキュールが使われております。

シンガポールスリング[編集]

このホテルが発祥の地と言われている「シンガポール・スリング」は、1915年にこのホテルのバーテンダー海南島出身のニャン・トン・ブーンの手によって誕生した。しかし当時は甘すぎてあまり人気が無かった。そして彼が数年しかラッフルズホテルに勤務しなかったせいもあり、1930年代後半にはレシピも完全に忘れ去られ、バー(Long Bar)のメニューから完全に消えていた。(実はいつ頃、ホテルのバーのメニューから消えたのかは不明である)。

しかしこのメニューが本格的に復活しシンガポールを代表する名物カクテルになったのは、1950年代にニャン・トン・ブーンの甥である名バーテンダーのロバート・ニャンが入社し、偶然にもホテル内でオリジナルレシピのメモを発見し、これをヒントにして1970年代前半に、南国のシンガポールのイメージに相応しい見た目と味覚にレシピを大幅に変更したためである。ゆえにラッフルズホテルで提供されている物は、オリジナルのシンガポールスリングとは別物のロバートの創作カクテルと言っても過言では無い。

なおロバートは1950年代から1980年代前半までラッフルズホテルに勤務し、最終的にはバー部門の責任者として采配を振った。このようにやり手のロバートの手腕により、シンガポールでは完全に忘れ去られた存在だったニャン・トン・ブーンは、名バーテンダーとして半ば神格化されるような存在になったが、ニャン・トン・ブーンの存在を再発掘し伝説を作り上げた立役者で、更にはオリジナルを大きく越えたシンガポール名物のシンガポールスリングを新たに創作したロバート・ニャン本人は皮肉なことに忘れ去られてしまった。

 シンガポールスリングのレシピ

safariman.hatenadiary.com