90s生まれミレニアル世代のメモ帳/備忘録

アメリカ東海岸の片隅から、読んだ記事や本で気になった箇所をメモするブログ。

海外営業部でメンターだった椎名さん(仮名)の物語 - 50代で転職しカリフォルニア駐在6年目...

とくさんによる新連載、1回目です
 
記事内で出てくる椎名さん(仮名)の行き方は、駐在から帰国した後の人生についてあれこれ考えていた私に何か指針を与えてくれる気がします。
それにしても著者のとくさんのプロフィールが凄過ぎます...
 
  • 新規事業の海外営業部だった。そこでメンターとしてついたのが椎名さん(仮名)
  • 椎名さんはドがつく真面目な人で、髪を七三にきっちり分けて、アイロンがビシっとかかった昭和なデザインのスーツを、真夏であっても毎日律儀に着て出社してくる人だった。仕事ぶりも本当に真面目で、毎日遅くまでこつこつと営業資料を作っていた。はっきりいって不器用で、ムダなところまで丁寧な感じだったけれど、それが長年培った彼のスタイル
  • 結局よその部署から来た同期は、課長として彼の「上司」になっていた。「課長になりたい」というボヤキはそんなところから来ていたのだと思う。でも、椎名さんは、それで腐ったりはせずに、持ち前の真面目さ(と不器用さ)で毎日仕事に向き合っていた

  • 他部門へ異動になった。異動先は「知的財産部」で、役職はもちろん「課長代理」。入社以来ずっと営業だった彼は、突然全く畑違いの部門で働くことになって戸惑っていた。

    それでも、椎名さんはここでも持ち前の生真面目さで法律の勉強を始めていた。会社で偶然会った時に、いつもの穏やかな語り口で、部署の様子を教えてくれた。

    こう話す椎名さんは、ここでも、いつものように自分なりのペースで、自分がやれることを誠実にこなそうとしていた。ただ、やはり営業で身につけた知識や経験が活かせない部門での仕事は、大変そうで、本人もその壁の高さにやや尻込みしているようにも見えた。

  • 異動して1年が経ったころ、彼はある決断を下す。25年近く勤めたそのメーカーを退職して、非上場の小さなメーカーに転職したのだ。海外営業部門の「課長」として。昔同じ部門で上司だった人に誘われたらしかった。
  • 椎名さんの「海外駐在」が決まったと人づてに聞いた。場所はカリフォルニア、待遇は「事業部長」とのこと。これを聞いて僕は震えた。

    椎名さんは、いつも「課長になりたい」と言っていたと書いたけれど、あともう一つ「駐在したい」ともよく言っていた。

決してあきらめずに、誠実に仕事をしつづけて、英語も真剣に学んで身につけ、そして50歳を目前にしたところで長く勤めた大企業を辞めるというリスクも取った。その結果として、彼は自分が人生で心の底から欲しいと望んだものを「彼のやり方」でつかみとったのだ。