90s生まれミレニアル世代のメモ帳/備忘録

アメリカ東海岸の片隅から、読んだ記事や本で気になった箇所をメモするブログ。

仕事にて、英語の発音の良さは交渉相手の印象を左右する?発音が下手だとIQは3割ダウン?ネイティブの顔色が変わる?

個人的に発音がきれいな方が自信をもって話せて、相手にもわかりやすいと思うので発音がきれいに越したことはないと思いますが、発音を気にしすぎて打合せなどで積極的に発言できなくなるのはよくないと思います....

 

私は、きれいな発音で英語を話すノンネイティブがカッコ良いと小さいころから憧れがあり、自分もそうなりたいと思ってきましたので、発音がきれいなのは良いという考え方を持っております。

そのため学生時代はかなり発音をトレーニングしました。自分で発音できるようになるとリスニングが上達するということも体験的に知っていたので、かなり力を入れました。正しく発音できる音が増えるとTOEICのリスニングテストで450点以上がコンスタントにとれるようになりました。

 

発音の良さについて実際のビジネスの場ではどう見られているか?

元アップルジャパン社長の山元賢治氏は以下のようにコメントしております。

外国人は「発音」で人を見分ける。「通じればいい」は見下される

厳しいお言葉ですが、現実なのかも知れません。

日本では今、英語は道具なのだから通じればいいじゃないか、日本人なのだから日本語訛りでいいじゃないかという「アジアン英語」「グロービッシュ」がブームです。英語が苦手な人の多い日本では、そのような本がたくさん売れる傾向があります。しかし、ダマされないでください。それは世界でまったく通用しません。

ここのコメントについては、正しい英語を話そうと意識しすぎる日本人にとっては英語は道具という意識が重要になると思います。また、私が英語が魅力的だと思う理由の一つにアジアの国々方とコミュニケーションを取れるということがあります。

これは一見、すごくハードルの高いことを言っているように聞こえるかもしれませんが、世界のビジネスシーンにおける厳然たる事実です。通じればいいと思ってめちゃくちゃな文法、発音で話す日本人と向き合ったネイティブが、「あ、この人英語話せないな」と顔色が変わる瞬間を、私はこれまで何度も見てきました。ゆっくり話されている時点で、もはや対等ではないのです。

 

逆に、ネイティブな発音で話す日本人に対して、彼らの表情が変わる瞬間も何度も見てきました。ネイティブな発音で話す人はたいてい落ち着いて、堂々と話をします。相手の外国人にしてみれば、「この人となら、細かな契約の話ができる」「信頼できそう」と思え、対等に、本気で話そうとしてくれるでしょう。

 

世界においては、英語の発音がその人の器量、どういう会社でどういう仕事をしているのか、どんな教育を受けてきたのか、どんなことに興味を持っているのかといった人格そのものを表すことにもなりかねません。

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東洋経済オンラインでコラムを書くグローバルエリートことムギーキム氏は以下のようにコメントしております。

あとグローバルエリートと日本のエリートの違いでいえば、やっぱり“コミュニケーション能力”の問題がある。

楽天三木谷浩史さんが面白いことを言っています。楽天は別に英語のできる会社になろうとしてへん。ただ、下手な英語ができる会社になろうとしているのだと。つまり最低限の英語をできるようにしたいってことですね。そのレベルで十分なケースもあるのですが、いかんせんグローバルな金融とかコンサルティングのような世界では、どれだけ流暢にネイティブのように話せるかが、重要になってくる。そして何よりも、多少発音が悪くても、少なくともクリアにアーティキュレイトすることが非常に大切。

たとえばノルウェーのように何十兆円と持っている政府系のめちゃくちゃ大きいファンドや、ブリティッシュ企業年金ファンドのようなところには、うちに預けてくださいといって世界中からアセットマネジメント会社が殺到しますよね。でも金融の世界では、商品にそれほど差がない。そうなるとどこを選ぶかは、その人の印象、コミュニケーション能力がものすごく重要なのです。

関西弁がなまったような気合い系イングリッシュのオジサンが、よくわからないあいまいなことをぶつぶつつぶやくよりは、やっぱりソフィスティケートなロイヤル・ブリティッシュ・アクセントのネイティブな人たちが、明確に論理的に話すほうが選ばれる。だから綺麗な英語、クリアな英語と、何よりもクリアな論理が非常に大切。それがあってこそ、明確に相手が考えていること、言っている事を把握できますから。

商品自体での差別化が難しい業界では、なおさらコミュニケーション能力の差別化が重要になってきます。英語が下手で論理が不明瞭なだけで、IQは3割ぐらい低く見られますから。

 

世界的なコンサル会社のグローバル会議では、各国独自の英語が話されているとのコメントも....

以下は日経ビジネスオンラインの記事“リンガフランカ”英語の我流学習法改めて考える「英語を学ぶ」ということ(その2)から引用

 

私が所属するボストン コンサルティング グループの経営会議は、8カ国の国籍のメンバーからなる多国籍の意思決定の場で、当然ながら共通言語は英語ということになる。
 その場に、7年間身を置いてしみじみと思うのは、オーラルコミュニケーションは、ブロークン気味でも問題なし、一方、読み書きは達意であることが求められる、ということだ。
 多国籍企業の多様なメンバーが参加する会議。その中では、実にバラエティーに富んだ英語が話されている。Hの発音が不明瞭でアクセントも独特のフランス人の英語。もともとの言語の出自が近い割に、時折見られる「英語下手」のドイツ人のとつとつとした英語。英国での高等教育を反映してか、高尚で難解な単語を多用しつつ、元々のなまりが抜けきれないインド人の英語。
 自分のことをさておいて言えば、発音だけでなく、多くの場合、時制や前置詞、接続詞の使い方など、文法的にもネイティブから見れば不完全なこと極まりない英語でのやり取りが、会議のかなりの部分を占めるでも、正直なところ、こういうレベルなのだ。当然ながら、これらの幹部がクライアントとやり取りする際も、同じレベルの英語でオーラルなコミュニケーションやプレゼンテーションがなされている。
多国籍のコンサルティング会社の最高意思決定機関のメンバーでも、正直なところ、こういうレベルなのだ。当然ながら、これらの幹部がクライアントとやり取りする際も、同じレベルの英語でオーラルなコミュニケーションやプレゼンテーションがなされている。
我々の社内だけではなく、例えば世界経済フォーラムが主催するダボス会議などの場でも、これは全く同様だ(もちろん、どちらの場合でも、相手に理解され得るレベルの英語力と、何よりも発言の中味が問われる)。
 特にオーラルコミュニケーションについては、自分自身が一定のヒアリング能力を有してさえいれば、リンガフランカとしての英語は、ネイティブ的な発音・流暢さで話す能力を求められてはいない、と考えてもよいだろう。

 

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